こんにちは、蝶のように舞い、筆は猪突猛進。森羅万象を笑いに変え、人生後半を少し軽くするでおなじみの清少納言リカですw
今日は、「背中を押す」というお話。
「押すなよ!押すなよ!」なら分かりやすい
「押すなよ!押すなよ!」
と言いながら、最終的には押されて熱湯風呂に落ちる。
あれなら分かりやすい。
「押すな」は「押してくれ」である。
周りも本人も、それを分かったうえでやっている。
お約束です。
しかし、現実の人生には、この分かりやすいお約束がありません。
「やってみたいんだけど……」
「どうしようかな……」
「私には無理かもしれない」
こう言われたとき。
この人は、本当に背中を押してほしいのだろうか。
「やってみなよ!」
と言ってほしいのか。
「無理しなくてもいいんじゃない?」
と言ってほしいのか。
それとも、ただ話を聞いてほしいだけなのか。
分からん。
背中を押すって、案外難しい
「絶対やったほうがいいよ!」
なんて勢いよく押して、その人が盛大に転んだらどうする。
転んだだけならまだいい。
そのひと言で、その人の人生が大きく変わってしまうことだってあるかもしれない。
そんなことを考えると、私は人の背中なんて簡単には押せないなあ、と思うのです。
善意なら何をしてもいいわけではない。
「あなたのためを思って」
という言葉ほど、おせっかいと紙一重のものもないような気がします。
「背中を押してもらいました」と言われた
ところが。
ときどき私は、
「リカさんに背中を押してもらいました」
と言われることがあります。
そのたびに私は、
え。
私、押したっけ?
となる。
押した記憶がない。
たぶん私は、誰かに向かって、
「あなたは絶対これをやるべきです!」
なんて言ったわけではない。
ただ、自分が何かやらかしていた。
新しいことを始めてみたり。
失敗してみたり。
恥をかいてみたり。
誰も頼んでいないのに、また何か始めてみたり。
そして、その様子をここに書いていた。
それを見た誰かが、
「じゃあ、私もやってみようかな」
と思ってくれたらしい。
押すんじゃなくて、背中に風が吹く
だとしたら。
人の背中って、無理に押さなくてもいいのかもしれません。
誰かの背中を押すんじゃなくて、
その人の背中に、ふっと風が吹く。
自分が何かに挑戦している姿や、失敗した話や、恥をかいた話が、誰かにとってそんな風になることがある。
そして、その人は自分の足で一歩踏み出す。
こちらは押したつもりはない。
でも、その人には「背中を押された」と感じることがある。
私は、そのくらいの距離が好きです。
誰かの背中に、ふっと風が吹くようなものを
私はここで、人生を変えるような立派なことを書いているつもりはありません。
むしろ、
また何か始めた。
また失敗した。
また余計なことを考えている。
そんなことばかり書いています。
でも、それが誰かの、
「ちょっとやってみようかな」
につながることがあるのなら。
誰かの背中を押す人にならなくてもいい。
ただ、
誰かの背中に、ふっと風が吹くようなものを書けたらいい。
日刊枕草子も、案外、世の中の役に立っているのかもしれません。
ただし。
熱湯風呂の前で、
「押すなよ!押すなよ!」
と言われた場合だけは話が別です。
そこまで言われたら。
押しますw




森羅万象を笑いに変えるリカたん🙂↕️筆は猪突猛進🤭最初の挨拶がピッタリ過ぎて🤣
リカさん、おはようございます。
「誰かの背中に、ふっと風が吹くようなものを書けたらいい」
共感します。
背中を押すのではなく、風が吹くようなものという表現に、心惹かれました^^
最後も、思わず笑いました^^
今日も、ニコニコ笑顔で、楽しむ1日を〜〜🎶