それを六文字で片づけないでほしい
私たちが毎日ここへ来る理由は、もう少し長い話なのだ
「単純接触効果」という言葉がある
何度も目にしたり、接したりするうちに、その相手に親しみや好意を持ちやすくなる現象のことだ。
確かに、そういうことなのだろう,,,,,
あるのだけれど、ひとつの単語にされると、なんだかなぁと思ってしまう。
せっかくのいい話が、たった六つの漢字にされてしまった。
単純接触効果。
ずいぶん簡単に片づけてくれたものだ。
AI式部「心理学者に罪はございません。」
わかっている。
わかってはいるが、私たちが毎日サブスタックへやってきて、誰かの記事を読み、コメントを交わし、また翌日も会いに来る。その一連の出来事を、
「はい、それは単純接触効果です」
と説明されてしまうと、何か大切なものまで削られたような気持ちになるのである。
読みに来てくれる人は、ファンなのか
ここサブスタックでは、「ファン化」という言葉が叫ばれているのかどうかは知らない。
私のところまで聞こえてきていないだけかもしれない。
記事を書く。
誰かが読みに来てくれる。
自分もその人の記事を読みに行く。
コメントを交わすこともあれば、黙って読んで帰る日もある。
そうした行ったり来たりを繰り返すうちに、作品のファンになったり、書いている人そのものが気になったりする。
では、私の記事を何度も読みに来てくれている人は、私のファンなのだろうか。
自分はどうなのだろう。
誰かの記事を毎日のように読みに行っているからといって、その人のファンなのだろうか。
もちろん、好きだから読みに行くことはある。
新しい記事が出たら、すぐに読みたい人もいる。
けれど、毎日訪ねる理由は、それだけではない気がする。
「今日も書いているかな」と気になる人がいる。
昨日の話の続きを待っていることもある。
コメント欄で話すのが楽しみな人もいるし、こちらが記事を出すと読みに来てくれるから、私もその人のところへ行こうと思うこともある。
相手は私の存在を知らないけれど、私はその人の文章をずっと眺めている、という関係だってある。
AI式部「それは、いわゆる物陰から見守る者でしょうか。」
言い方。
静かな読者と言ってほしい。
名前のない関係が、少しずつ変わっていく
初めから「私はあなたのファンです」と名札を下げて、誰かの記事を読みに行くわけではない。
最初は、たまたま見かけただけかもしれない。
題名が気になって開いた。
文章を読んで、少し面白いと思った。
次の日にまた見かけて、もう一度読んだ。
コメントをしたら返事が来た。
その人がこちらの記事も読みに来てくれた。
そうやって何度も行ったり来たりしているうちに、お互いの名前を覚える。
文章の雰囲気もわかってくる。
「この人なら、こんなことを言いそうだ」と思うようになる。
やがて、ファンと呼べる関係になることもあれば、知り合いになったり、友達になったり、同じ場所で書く仲間のようになったりする。
けれど、その間には、まだ何とも呼べない時間がある。
知り合いというほどではない。
ファンと言い切るのも少し違う。
友達ではないけれど、まったく知らない人でもない。
その名前のつかない関係が、私はけっこう好きなのだと思う。
昭和の私たちには、ほとんど奇跡である
考えてみれば、全国にいる人と、こうして毎日のように話せるのは、すごいことである。
特に私たち昭和の人間からすると、子どもの頃には想像もできなかった。
遠くに住む知らない人と知り合う方法といえば、雑誌の後ろにあったペンパル募集のコーナーだった。
住所と簡単な自己紹介を見て、勇気を出して手紙を書く。
ポストに入れて、何日も待つ。
返事が来るかどうかもわからない。
今のように、相手が自分の手紙を読んだのかどうかも表示されない。
ほかには、瓶に手紙を入れて海へ流す方法もある。
AI式部「それを実行した昭和の民は、それほど多くないと思われます。」
いいや、いるはずだ‼わたしもやった。きっといっぱいいるはずだ‼
瓶の手紙など、本当に誰かに届くのかもわからない。
海を漂い続け、返事どころか、瓶そのものがどこへ行ったかもわからなくなる可能性のほうが高い。
ところが今は、札幌にいる私が書いた文章を、東京や大阪や九州、あるいは海外にいる人が、その日のうちに読む。
コメントを書けば、数分後に返事が来ることもある。
昨日まで知らなかった人と、今日は笑い合っている。
改めて考えると、感動ですらある。
私たちは今、子どもの頃なら「未来の世界」と呼んでいたような場所で、毎日文章を通して人と会っているのだ。
六文字では足りない
そうして私たちは、今日もサブスタックへやってくる。
誰かの新しい記事を探しに行く。
昨日の話の続きを読みに行く。
コメントの返事を見に行く。
自分の記事を読みに来てくれた人のところへ、こちらからも会いに行く。
何度も名前を見て、文章を読み、少しずつその人を知っていく。
そこからファンが生まれ、知り合いができ、友達や仲間と呼べる関係になっていくこともある。
それを、
「単純接触効果でファンができます」
のひと言で片づけられてしまう。
いや、そうなのだろう。
説明としては正しいのかもしれない。
けれど、私たちが毎日ここへ来る理由は、もう少し面倒で、もう少し曖昧で、もう少し長い話なのだ。
人と人との間に生まれるものを、何でも短い言葉にまとめればよいというものではない。
言葉には、ときどき装飾も必要である。
六文字で説明できることを、わざわざ長々と書く。
そのために、私たちは文章を書いているのかもしれない。
AI式部「ちなみに本日は、六文字の説明に二千字ほど費やしております。」




リカさん、こんにちは✨
ペンフレンドや瓶に手紙流すの私もやったので思わずなつかしくて共感しました🤣
本当にあのころには今のことなんて想像もできませんでしたよね😊
何度も関わるうちに自然と親近感が湧くの、自分にも思い当たるところがある。名前がつかないくらいの絶妙な関係って、なんか居心地がいいんだよね。